ちはやふる 第32巻(第164-168首)考察

漫画

  • 表紙絵:大江奏と駒野勉と西田優征、鈴蘭
  • 表紙袖:大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立 #60
  • 巻末漫画:瑞沢一年生部員のライン

以下、伏線と名言の個人的メモ。

第164首

終わりの瞬間に 違う始まりの瞬間に 太一がいる

新の目の前にいたのは、新が知っている千早ではなかった。新が知っている千早の傍には常に太一がいた――ということに気付いた新、そして気付かされた太一。前回、千早が試合中に太一を発見し、回想して気付いたことでもあるね。新、太一、千早はしりとり形式で「あらたいちはや」と名前が繋がっている通り、新と千早の組み合わせは太一が介在しないと成立しないってことか。そもそも「新が知っている千早」は、小学生版千早のままである模様。

第28巻第148首で太一がかるたに戻って来る時期について「何年後か何十年後か」と千早が話したのは強がりで、太一当人に言った「遅いよ」が本音か。千早と太一の距離感や手の位置は、表現が難しい。ところで、新は太一の存在にいつ気付いたのだろう。

その新の視線の先が、所々分かり難い。試合中に鉢巻の文字にも気付いてしまったのか、瑞沢部員達が抱き合っている場面もじっと見ていたのか。また、その鉢巻だが、抱擁場面の途中から見当たらない。作画ミスか……と思っていたが、実はわざとさりげなく消しておいて、後に有用なアイテムとして使われそうな気がしている。

最後の独白は、千早が新に告白された後の第23巻第120首の「昔の自分じゃなくなったって 新しいことが始まったって」を受けての「終わりの瞬間」で、「違う始まり」で太一に仕切り直し?

まだ続いている決勝戦で読まれた札は 「たかさごの」 「こぬひとを」 「きみがため・は」。

第165首

次がある 前に進む 同じ決意を返すから

千早の「近江神宮に太一がいる」という言い回しに違和感があったが、第一七二首収録のBE-LOVE表紙の「からくれないに染まる聖地」という煽り文句を添えて描かれた近江神宮の楼門(と千早)を見てやっと、私の中で解消された。漫画は白黒だからピンと来なかったのだけれど、楼門の色を思い浮かべれば暗示が読み取れるね。からくれないと言えば「ちはやぶる」の歌だ。

千早や皆に抱きつかれる息子を見て、太一母はどう感じたのだろう。千早母の場合は第29巻第153首でヒョロに抱きついていた前例があり、我が娘はそういうコなのねーで済ませてしまいそうだが。

「きっと謝りにきてくれたんだ」は、「ごめん」と口にしてあるのに何故改めて「きっと」と思うのか。ただ、千早に対しての謝罪にはキスのことも含まれていたのを、当人はそう思い至っていないと示しておきたかったのかな。乙女的には重大事件であろうに、不自然なくらい千早の回想で触れられていない=嫌じゃなかった、と。そもそも何故「謝りに」と思うのかが理解出来ない。太一の最初のアクションが流れで「ごめん」になってしまったから? 太一は仲間の最後の雄姿を見に来てくれた、の方が自然な考えじゃないのかな。

それより、表彰式前に一言二言いっておくとか、着替える前に太一を捕まえておこうよ。逆に、新は着替えずロビーに居ていいのか。「次は試合で」は第5巻第24首でのエピソード。小学生の時に新に字が下手だと言われた太一だが、団体戦メンバー提出時に登場していた横長の整った字が、太一のだったっぽい。その後、上達した? 私は好きな筆跡だよw

周防の前に座る太一と共に描かれた札は 「やまざとは」 「よもすがら」 「ひさかたの」 「なにわえの」 「ひとはいさ」 「なげけとて」 「なにしおわば」 「やすらわで」。寂し気な内容が多いが、白いかるたが下に落ちて行っているのは憑き物が取れたようでもあり、良い兆候なのだろうか。

第166首

”OBに名人がいる” 部にとってそれがどれだけ価値があるか

全国大会個人戦開幕。「OBに名人がいる」は太一にも当て嵌まるね。今後堂々とOB面するため、それで挽回して前回太一母曰くの「間に合った」と言いたいところ。尚、見た夢を語る部員達のほっこりぶりも侮れないというのが、数話後に分かって来る。

千早と新の交流がもどかし過ぎる。数メートル歩いて直接話せば良かったものをジェスチャーなんかで済ませるから、詩暢が大誤解して燃えてしまったではないか。それよりも新の気持ちが気になる。千早のメッセージが正しく届いていない可能性があるどころか、千早に思うところがあるような表情。

千早にとって新は「神様みたいに思ってた男の子」で、太一のことは第20巻第104首時点で「ずっと一緒にがんばってきてくれた男の子」。神様みたいに「思ってた」と過去形なのは、福井訪問時の手紙に「神様じゃなくて友達でいたいよ」とある通り、再会する迄の間だけを指すのかな。

筑波昇級は「じつはいつの間にかB級」の手書き補足文字だけで初出。第31巻第160首で「格上」に勝利したと褒められて微妙な顔をしていたのは、実は同等だったからか。

第167首

詩暢ちゃん 人のかるたを受け入れろ 人の強さを 自分のかるたしか取れなければ クイーンの寿命は短いぞ

個人戦ベスト8、千早と詩暢の戦い。一人かるたばかりしていた詩暢の欠点の巻。読まれた札は 「たまのおよ」 「おくやまに」 「いまはただ」 「ひさかたの」 「おおことの」 「うかりける」。

私自身が学生の頃を振り返る時、高一、高二というように学年で考えるので、千早が年齢で数えているのが引っ掛かった。第26巻第137首での太一の「今日18になったんだ」はちょうど誕生日だったからというのもあるだろうが、「18」には意味がある? 小説版によると千早と太一が出会ったのが小学三年生=8歳(太一の誕生日は始業式前だから厳密には9歳)らしいので、ちょうど十年。あと、男子も結婚出来る年齢でもある。そういや、12月生まれ設定の新はまだ17歳だね。

「うちの唯一の友達が どうでもいい子に」について、「どうでもいい子」はそのコマで描かれている千早で、「唯一の友達」は新のことらしい。つまり、中途半端に終わっているそのモノローグにも「負けるやなんて許さへん」という言葉が続くわけだ。二度繰り返すことで、千早なんぞに負けやがって! という気持ちが強く表れていると。

ただね、詩暢は新と確かに仲良さそうに喋っていたけれど、毎年試合で戦う程度なのに、新を友達扱いしていたとは思いも寄らなかったわ。単なる顔見知りレベルだろ!? 第20巻第107首で周防さんに友達かと聞かれても肯定せず、冷たい視線で「邪魔な河」と言ってたじゃないか! と突っ込みたいが、詩暢ちゃんには「友達」だったんだね。そして、第30巻第157首でヒョロも「子供の頃からかるたを続けているだけで友達」と定義付けてあったよ、そう言えば。

第168首

部活でかるたを選ぶような子たちは たいてい自分を天才とは思っていない 自分には足りないところがあると 本能的に感じてる だから エンジンを外側にも置く 自分じゃないけと自分のような 大好きな人たちに持っていてもらう

前回の流れから期待を抱かせつつ、千早敗戦。第1巻冒頭にある通り、二人はクイーン戦で戦うから、今回はこれで展開を留めておくのが丁度良いのだろう。読まれたのは 「ふくからに」 「わたのはら・や」、高二での対戦時は上手く取れたのにリベンジされた 「きみがため・お」。

現時点での二人の差を考えてみる。詩暢はいつも札に描かれた姫達の会話を読み取っているようだが、千早が札からそこまで何かを強く見い出している描写はない。何となくの色や風景が浮かんでいた程度か。恐らく札と仲良くなり切れていない。そもそも、第9巻第52首で菫も「百人一首なんて恋愛の歌ばっかり」と言っているのに、肝心の千早はまだまだあんぽんたん。だから、深く理解出来ていない。この点は詩暢も同類っぽいものの、札との親密度が千早より詩暢が上だから勝てるというわけだ。

ただ、春以降は千早の気持ちが札で暗示されていることが多く、印象的なのが「こいすちょう」。第20巻第108首にて天徳内裏歌合で「しのぶれど」が「こいすちょう」に勝った話が出て来るが、「こいすちょう」を思い浮かべてばかりならそりゃ、「しのぶ」さんには負けるわな。というわけで、恋の始まりを詠う「こいすちょう」状態の千早がそこから脱して、クイーン戦までに恋を学んで理解度が深まれば、詩暢に勝てるんじゃないかな。真っ赤な恋の歌とされる「ちはやぶる」の札が千早の試合で並ばない理由もそこにありそう。

おおえやま

鈴蘭の花言葉は「再び幸せが訪れる」。「おおえやま」は、この巻では登場しないが前巻の最後、千早が新との戦いで勝利を決めた札。

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